経営

経営目標達成への二つの方法論

  経営目標を達成するために、適切な時期または工程で、業務の遂行状況の振り返りを行うのはマネジメントサイクル(PDCA)の基本である。その際、目標とするところと現状のギャップを把握分析して、対策を講じていくというのは常識であり、内部監査人もそうした振り返りが監査対象組織できちんと行われているかどうかを確認し、不十分な点があれば指摘し、改善提案を行うことになる。

 ただし、そうした問題(=目標と現状のギャップ)解決型のアプローチだけが、経営目標達成のためのアプローチではないことを教わった。いかに組織の目標を達成するか、その道筋がはっきりしている場合は、問題解決型のアプローチを採るのが効率的であろう。しかしながら、リソースの制約があり、事業や市場の環境がダイナミックに変化する場合など目標を達成するにはどうしたら良いのかが、必ずしもはっきりしていない場合も多々あるのではないかと思われる。

 そのよう状況では、なにか良いパフォーマンスや機会をとらえて、それを展開していく方法論もあるという。前期の営業利益率が例えば8%であったところ、12%が組織の目標として課され、中間期では10%であったとする。問題解決型のアプローチでは、12%に届かなかった2%分について、原因を分析して対策を打っていく。あらかじめ12%を達成するためのシナリオが策定されており、それとのギャップ分析が主体となる。

 これに対して、プラスの要素に着目して展開していくアプローチでは、前期の8%という実績から伸ばすことのできた2%分について、その成功要素を把握して、そこを伸ばして目標に向け展開していくこととなる。分析的ではなく、総合的あるいは創造的なアプローチである点でなかなか監査においては取扱が難しい方法論であろう。

 ただし、このアプローチが有効なのは環境がダイナミックに変化しあらかじめ目標達成への道筋が描けない場合や、組織の勢いが重要な場合なのだそうである。逆に、事業環境が静的で目標達成への道筋が描けるはずの場合や、慎重さや正確さが重要な場合には適切ではないとされる。監査人は、そうした事業環境の性格も考慮した上で、マネージャーの指導や活動を検証・評価することが必要であろう。

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中小企業と内部監査

 放送大学で「組織運営と内部監査」という科目の講義が始まっている。日本内部監査協会も番組の制作に協力しているようである。

 私はテキストを買って読んでみたのだが、内部監査に関するテーマを広範にわかりやすく取り上げていると思う。

 とりわけ、以前から関心のある「経営監査」あるいは「内部監査と経営診断の学際的(?)領域」について、中小企業における内部監査の役割に関する論考(講義)がヒントになりそうである。

 テキストでは中小企業の特質として、ヒト・モノ・カネなどの経営資源に制約があること、経営者の個性が強いこと、創造性・機動性・技術力による潜在的市場創出能力が高いことなどを挙げている。

 他方で、それらの裏返しとして、キャッシュフローの管理、本業への集中、適切な人材管理が中小企業の課題となると指摘している。

 たとえば、内部監査が購買管理(仕入管理・生産管理・在庫管理)、債権管理、販売管理についてリスクを指摘し、改善を提言していくことによってキャッシュフローの効率性を高めていくことができるとしている。

 そうした業務プロセスの内部監査がうまくいかない場合、経営者が適切な管理を欠くと従業員の不注意や怠慢を誘発し、品質問題など様々なリスクが顕在化して業績の悪化を招くことにもつながる。この意味で、内部監査は適切な人材管理を通じて、組織のリスクを低減し、業務プロセスの有効性と効率性を高めるものと言えるのかも知れない。

 また、経営者の個性が強いことと、潜在的市場創出能力が高いことは、ともすると自社の強みと弱みを十分に踏まえずに、手を広げてしまう危険をはらんでいるといえよう。経営者が自分を律するのが困難であれば、日頃からそれをサポートする仕組みをつくっておく必要があり、それが経営者自身の内部監査であるという。(中小企業の場合は、会計参与などの社外ブレーンを活用することが考えられる。)

 実際には、中小企業で適切な内部監査が実施されている例は希少であるという。しかしながら、中小企業経営者自らが意識を変えて、内部監査を組織のリスク・コントロール、ガバナンスを強化する投資と理解して導入することが望まれるとしている。

 中小企業というと大企業の下請けというイメージもなくはないが、むしろ、このテキストがいうように潜在的な市場を創出するイノベーティブな役割を期待したいものである。そうした意味でベンチャーやアントレプレナーを支援する役割の一翼を内部監査が担いうるのであれば、内部監査の社会的な意義も更に深いものとなるのではないだろうか。

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【一橋大学公開講座】「企業版格差社会の国際比較」

当期公開講座の最終講義は中野誠准教授による実証研究。G7にスペイン、韓国、オーストラリアを加えた十カ国の全上場企業1万5千社について、1985年から2006年までの財務数値を時系列に調査した結果をグラフで説明いただいた。

財務数値は端的に、ROA(総資産利益率)とROE(株主資本利益率)であるが、日本と米国は非常に対照的な両極端の国とのこと。米国企業はとくに直近5年間で上場企業の約3分の1が営業赤字というくらい企業の業績に最も格差がある国で、日本は逆にその格差が最も小さい。米国ほどではないが、英国、カナダ、オーストラリアなど他のアングロサクソン系の諸国も企業業績に格差が見られる。グローバル・スタンダードというけれども、実はアメリカン・スタンダード、アングロ=サクソン・スタンダードかも知れないから、なんでも日米の比較論で考えるのは妥当ではない場合があるでしょうというお話。

アングロ=サクソンの国で格差が大きい背景にはNASDAQAIMのような新興企業向けの証券市場が設けられたことがあるのだが、それは90年代以降、世界の先進国で試みられてきたことである。ただ、それらアングロ=サクソンの国ではダメモトで出資を募ることや、それらまだ黒字になったことのない新興企業に投資することが是とされるような国民性のようなものがあるそうだ。

とくにROEの格差が米国で大きいことを調べていくと株主資本比率が日本とくらべて低くなっているそうである。現在では日本企業で株主資本比率40%に対して、米国企業は約20%となっているそうである。ROE経営ということが10年くらい前に言われたことを思い出すが、高配当で株主資本を減らし、負債を増やしていくというファイナンシャル=レバレッジによってROEは高くなる。これは特に米国で機関投資家の発言力が強く、企業にROEを高めるようプレッシャーをかけてきたところに原因があるそうだ。

ただ、株主資本を小さくすることは、ROEの変動を大きくするし、経営そのものの安定性を弱めるという問題が生じる。国別にROEの平均と標準偏差とを二つの軸にとってプロットすると日本企業はローリスク・ローリタン型の経営で、米国はハイリスク・ハイリターン型の経営であることが読み取れる。最近は、日本でも機関投資家の発言力が強まっているが、短期的にROEを高くするために中長期的な経営の安定性を犠牲にするような行動を企業がとっては困るというのが中野先生の懸念であった。

株式会社というのはカネが希少な資源であった時代に創造された制度であるのに、カネが余っている現代に株主主権が強調されるのは如何なものか、株式会社という制度も将来は変わっていくものなのかも知れないというのがまとめ。数字に裏付けられて、なかなか面白い知見をいただいたが、アメリカの企業の格差の大きさと株主資本の薄さを思うと、まだまだアメリカの実体経済は悪化しそうだというのが今日の講義を聴いて思ったことであった。参考書として、『日米企業の利益率格差』(伊丹敬之編著、2006年有斐閣)をあげられていた。

五回の講義のすべてを聴講したが、四回以上の聴講者には「修了証」を下さるというので頂戴してきた。五回で6,200円は安かったし、面白かった。

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【一橋大学公開講座】「地球環境・エネルギー問題と日本企業」

 「日本企業の経営課題」の第四回目は、橘川武郎(きっかわたけお)教授による「地球環境・エネルギー問題と日本企業」。先生は経営史が専門でありながら環境・エネルギーに係る政府の専門委員かなにかをされているそうで、『プレジデント』誌にも発表されてきた論点を講義された。

 結論的には、エネルギー問題や温室ガスを中心とする環境問題に対しては、短期・中期・長期のそれぞれの対応策が必要とのこと。短期的には、既存の省エネ技術の徹底とこれを世界に広めることによる貢献。もう少し中期的には、カーボン・ニュートラル効果の大きいセルロース由来のエタノールの開発など。長期的には省エネと新エネルギーを含めた技術革新といったことになる。エネルギーや環境に係る卓越した技術を開発していくこそが、今後の日本のプレゼンスを高め、セキュリティにもつながる強みとなるというお話であった。

 この技術革新という観点からすると、現在の京都議定書が依拠する国別の努力目標割り当てというスキームには問題点があるとのこと。二酸化炭素の大排出国である米国、中国、インドが参加していないことも問題であるが、参加国の間で、排出量の制限の厳しい国から緩い国に生産活動が移転することによって、かえって世界全体で排出量が増えてしまう「炭素リーケージ」の可能性がある。また、リーケージが起こらないにしても、排出権取引は、技術革新に使われるべき資金が流出することでもある。

 そうしたことから、国ごとに目標を設定するのではなく、産業別セクター毎に全世界で削減目標に取り組む「セクター別アプローチ」を日本は官界、経済界で提唱しているとのこと。ただし、国家や国連という強制力や調整力なしに、業界の自主的努力で実効性のある活動ができるのか疑わしいことが、このアプローチの問題点であるとのこと。よって、COP(Conference Of the Parties/締約国会議)という国際的な公的組織の指導を取り入れての、セクター別アプローチが望ましいだろうというのが教授の見解であった。

 余談になるが、炭素リーケージに絡んでグローバリゼーションによる国内産業の「空洞化」について会場から質問があった。これに対して教授は、現在、競争力ある企業に見られるのは「グローカリゼーション」であり、ノキアやトヨタなどを見ても、マザー工場や研究所などのコア・コンピータンスの拠点を国内に置きながらの国際的な事業展開であることを指摘された。また、たとえば日中間の経済について見ると、付加価値の高い部品を国内で生産して、それを使って中国で製品を組み立て、完成品を逆輸入するというパターンがあり、生産の海外移転というよりも新しい国際分業が形成されているという指摘もされた。

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【一橋大学公開講座】「企業競争の社会的意味」

 第三回目の講義は、小松章教授による「企業競争の社会的意味」。経営学では企業の競争戦略論に関心が集まるが、市場競争に重点をおいた経済政策で格差が拡大したという批判もある中であらためて企業の競争にはどのような社会的意味があるのかを論じられた。

 結論的には、超過利益を目標として企業が市場で私的利益を追求する活動=競争によって、①多種多様な商品が開発され供給される、②価格の低下によってそれら商品を大衆が入手できるようになる、③科学技術の進歩を促す、といった社会的な効果が生み出されるということ。

 なんとなれば、競争とは新しい市場(または商品ともいえる)を創造する第一局面と、参入企業が増えてからのコスト削減に注力する第二局面の繰り返しだからである。その動機は利益、しかも平均以上の超過利益の追求なのである。

 と、難しい話ではないが、あらためて整理をされた。ただ、質問では、やはり企業経営者の倫理観に対する疑問や、「自己責任」で万人を競争に放り込むことへの疑問などが、聴講者から呈されたしだいであった。教授の整理された論点も聴講者の疑問もごもっともである。

 おもしろかったのは「競争のダイナミズム」の話で、合衆国で一番の農業生産高をほこるカリフォルニア州は本来、降雨量が少なく農業に適さない土地であることを例えにされて条件を改善し構造的ハンディキャップを逆転することの重要性を指摘されていた。

 カリフォルニアについていえば、ゴールドラッシュで人口が増えてきたときに、シエラネバダ山脈の冠雪の溶けだした水を運河を設けて利用することを大々的に行ったことが農業興隆の背景にある。日本も天然資源のない国で、本来は条件的に工業に向いていないにも関わらず一大工業国になっている点、「競争のダイナミズム」の論理があるのだとの指摘であった。(日本の場合は、海運・良港・教育が構造的ハンディを逆転した要因だろうか?)

 それから、「自己責任」という言葉ひとつをとっても米国で言われていることと日本で使われている意味とにはズレがあって、日本では米国の「競争」的な仕組みが一面的に解釈され適用されている点に注意が必要とのことであった。

 教授の著書「企業形態論 第3版」(新生社、2006年)の第六章に詳しい説明があるそうである。

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ライブドア事件について

 こちらもあるSNSに書き込んだ(2008年1月14日)ものですが、そちらを退会したので、心覚えのために転載しました。

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 いわゆるライブドア事件は様々な波紋を生じた。検察当局の捜査のあり方、日興コーディアルと比較しての東証の対応の相違、小泉政権で推進された新自由主義、新興のネットビジネスへの疑問など、幅広い問題提起をしたと言えるかも知れない。  

 自分が、この事件から受けた印象は、ネットを利用した虚業の実態が明らかにされたということだった。堀江被告の派手なメディアでの露出はもちろんのこと、一見事業にどういう関係があるのかわからない企業を買収しながらの成長は、虚業そのものではないかと思えた。

 その後、『ライブドア監査人の告白』(田中慎一著)で詳述された株式分割による株価押し上げや、粉飾決算の手口などを読むにつけ、そうした考えが強くなった。  堀江被告は、虚飾の好きな銭ゲバであり、実業家と呼べるような人物ではなく、ライブドアの不正のすべての指揮を執ってきたのだろうと考えていた。

 そうした印象が、もしかすると一面的なものかも知れないと思ったのは、『グーグル Google』(佐々木俊尚著)を読んだときだった。  この図書のp181には次のような記述がある。「ポータルビジネスというのは、企業にとってはとてもつらい事業だと言われている。知名度を必死で上げて集客しなければいけないし、そうやって集まってきたお客さんに対しては、さまざまなサービスや製品のラインアップを豊富に取りそろえて楽しませなければいけない。(中略)ポータルをゼロから始めようとしたライブドアは、このために事業会社をたくさん買収しなければならず、莫大な資金も必要とした。それが事件を生む土壌になったと筆者は考えている」  

 この文脈からすれば、堀江被告がメディアに派手に露出したことも会社の知名度を上げるためのパブリシティであり、多くの企業を買収したのもポータルビジネスに必要な投資だったと言えるのかも知れない。 また、富士通総研の湯川抗氏は、CNETのコラムでライブドア虚業説について、市場でのプレゼンス、技術力、収益源の三点について検討した上で、虚業という批判はあたらないと結論付けている。

 では、ライブドアが虚業ではなかったとすれば、どのようにして同社は経営の正道から逸脱してしまったのだろうか。これに関連して、上記『グーグル Google』の著者である佐々木俊尚氏は、CNETのコラムで、ライブドアの組織体制は決して堀江前社長のワンマン体制ではなかったと興味深い指摘をしている。

 佐々木氏によれば、堀江前社長がメディア事業(ポータルサイト全般)、宮内前取締役がファイナンス事業(プロフィットセンター)、熊谷取締役がIR、資金調達など、山崎徳之取締役がシステム開発部門、岡本文人取締役が営業、広告宣伝という、それぞれの管掌を分担した合議体制であったと言う(役職はいずれも事件発生直後のもの)。

 ところが前述したような本質的な難しさを抱えたポータルサイト事業の伸び悩みと対照的に、ファイナンス事業はライブドア証券の買収などによって飛躍的に売上を伸ばし(2004年の第1四半期にはファイナンス事業の売上は全体の30%程度だったのが、第4四半期には60%)、むしろライブドア全体の中核事業になってきた。

 こうした事情を背景に、堀江前社長と宮内前取締役のパワーバランスがなんらかの形で崩れていったために、合議的なガバナンス体制がほころんでいったのであろう、というのが佐々木氏の推測である。堀江被告のマスコミ露出、タレント活動が盛んになるにつれ、むしろ、社内では宮内被告の地位が高まって行き、結果的にファイナンス部門の暴走へとつながっていったのではないか、とのことである。

 もちろん暴走したのはファイナンス部門だけではなく、ポータル事業に梃入れをする必要からも、ある時期以降からは、堀江被告も尻馬に乗って積極的に脱法行為に荷担していたのだろう。佐々木氏も同被告の責任について言及している。とはいえ、役員が事業の分掌を定めて相互牽制のガバナンス体制を敷いていたのだとすれば、それにも関わらず、コンプライアンスから逸脱していった事情はもって他山の石とすべきかも知れない。

 やはり、分掌を定めて合議制で牽制しながら意思決定を行ってきたとは言っても、仲間内だけの経営では十分なガバナンスを実現できなかったのだろう。社外からの取締役、監査役が十分にモニターとして機能するような仕組みが必要だったのではないだろうか。いずれにしても、今年からは、いわゆるJ-SOX(金融商品取引法)の適用も始まり、株式を公開している企業が粉飾決算を行うことは従前よりも難しくなるはずである。

 ちなみにライブドアと良く対比された楽天であるが、どちらもネットビジネスということで同一視されがちなものの、ライブドアが前述のとおりポータルビジネスというB2Cビジネスに転換したのに対して、楽天のショッピングモールというビジネスモデルはB2Bであることは相違点としておさえておきたい。

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NOVAの破たんに思う

あるSNSに書き込んだ(2008年1月6日)ものですが、そちらを退会したので、心覚えのために転載しました。

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 昨年は、国会がいわゆる「ねじれ」状態になって内閣もかわり、経済面では米国のサブプライムローンの破たんに端を発した信用収縮、投機マネーの流入による天然資源の価格高騰など、いろいろなことがあった。 じぶんにとっても仕事がかわってリスクマネジメント、コンプライアンス、内部統制といった少々目新しくも聞こえる分野に携わるようになり、変化を体感した一年であった。  

 個人的には、NOVAの破たんが痛かった。VOICEというチャットルームの回数券が相当の枚数、残っていたためである。ただし、新生NOVAで75%ディスカウントという大盤振る舞いで新たに契約ができるらしい。もったいないから、気を取り直して春になったら、少し英語の勉強もしようか。

 NOVAが顧客との間の払い戻しのトラブルで係争になったころから、危ないなぁと思い始めた。店頭公開していたので、9月末だったかのバランスシートをWebで見ることができたが驚いた。顧客から前払いでもらっていた授業料が200億円以上の負債になっていたのと同時に株主資本は、わずか3億円くらいしかなく、債務超過寸前だったからである。(後から、どうやら、それも粉飾決算だったらしいということがわかったが。)  これでは無事に年を越せまいと思っていたら案の定の破たん劇であった。

 直接的な原因は、コンプライアンス違反にも聞こえた前払い授業料の払い戻しトラブルによる顧客離れであった。これには、特定商取引法上、問題があるという見解も出てきたが、支払った授業料の全額が戻ってこないことは契約時に説明を受けていることでもあり、それ自体を不適法として問責できるとは思いもよらなかった。よって、購入したVOICEチケットについても、防衛策は取らずにいたしだい。

 だが、そもそも、そうした顧客とのトラブルがどうして頻発したのか。おそらく国から受講者がもらえる教育補助の金額が段階的に削減されて来たために、受講者が伸びなくなったのではないだろうか。それを無理に無理を重ねて、受講者に消化しきれないほどのレッスンを契約させ、トラブルの火種を抱えたということではないか、と思われる。

 国から補助が出るところにはビジネスが新規に参入してくるが、補助が細くなった途端に窮地に陥るケースがあるようだ。教育業界では、米国公認会計士受験の予備校大手だったANJOが、やはり、国からの補助の削減とともに破たんした。コムスンで注目された介護ビジネスも、国などからの補助が誘い水ともなり、コンプライアンス違反の契機ともなったようである。

 NOVAとANJOには、ほかに二つの共通点があるように思われる。どちらも「成長志向」だったことと、創業者にしっかりした企業での勤務経験が乏しかったらしいことである。企業が成長を志向するのは悪いことではない。国民経済の成長は、ミクロレベルで個々の企業が成長しないことには実現できはしない。ただ、成長が企業の問題のすべてを解決すると考えることは愚かであろう。

 たしかに成長は、それができれば、多くの弱点、欠点を補ってくれる。ただし、成長できるためには、致命的な弱点、欠点があってはならない。NOVAの場合は、創業時の経験から、成長がすべての問題を解決するという信念が創業者の心中に固く形成された節が見受けられる。

 だが、成長第一とばかりに前払いを受けた受講料のほとんどを新規教室や、広告宣伝の投資に回したのでは、仮に100%の市場シェアを取れたとしても破たんは免れない。マーケティングやビジネスモデルは間違っていなかったかも知れないが、お金の使い方という経営の基本ができていなかったことになる。この点、ANJOもよく似ているようだ。

 創業者がしっかりした組織で勤務した経験に乏しいらしいことを、もう一つの共通点として考えているが、これは不幸な場合、ガバナンス、コンプライアンス、内部統制の弱さに直結してしまう。  やはり創業者には、幹部とてなかなかモノ申せないはずである。そこで創業者自身にガバナンスと内部統制の仕組みに対する意識や、コンプライアンスの重要性に関する認識がどの程度あるかが非常に重要になると思われる。

 その点で、創業者が過去にしっかりした組織で勤務した経験があるかどうか、がひとつのリスク要因として重要になってくると思われる。個人的な資質も重要だが、そうした経験も重要であろう。ANJOは失敗したが、同業ライバルのU.S.エデュケーション・ネットワークは堅実に経営をしてきているようである。創業者は、ユニデンに勤務していたことがあったと記憶する。この点は、ライブドアと楽天の対比にもあてはまるのではないだろうか。

 アントレプレナーシップは重要であるが、陥穽にも留意すべきだと思われる。NOVAの破たんで思ったことは、以上のように、国からの補助への依存はアントレプレナーシップに値しないし、それ自体、リスクを抱えているのではないか、ということ。成長が正しい戦略に則っていない可能性に留意すべきこと。経営者のコンプライアンス意識が重要なこと、である。ライブドアについては、あらためて、考えをまとめたい。

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【一橋大学公開講座】「日本企業の組織問題」

 「日本企業の経営課題」の第二講目は、沼上幹教授による「日本企業の組織問題」と題され、興味深い実証研究の結果も紹介されながらの面白い講義であった。

 少なくとも今日の日本企業には過剰な民主化によって責任者が不在の様相を呈し、事業部長クラスにリーダーシップが欠如しているという問題が見られるとした上で、いくつかの要因によって、複雑化したルールのもと、内向の仕事に精を出し、社内の調整に時間を要するような「重い」かつ「遅い」組織になりがちであることが説明された。

 そして、20社以上の企業の協力を得て、そのような組織の「重さ」を計量化し、「重い組織」と「軽い組織」を対比して統計をとった結果、導き出された知見を披露していただいた。この実証研究は文科省からの補助を得た21世紀COEプログラムの一環であるそうだが、パフォーマンスの良い「軽い」組織というのは(私にとって)意外なことに、有機的な組織と機械的な組織の二つの面を併せ持っていることがわかったそうである。

 手元の”Understanding and managing Organizational Behavior”というアメリカのMBA教科書によると、有機的組織とは「従業員が変化を起こし、条件の変化に速やかに適応できるような柔軟性を促進するように設計された組織構造(An organizational structure designed to promote flexibility so that employees can initiate change and adapt quickly to changing condition)」で、他方の機械的組織とは、「従業員をして予見でき、結果を説明しうるような仕方で行動せしめるよう設計された組織構造(An organizational structure designed to induce employees to behave in predictable, accountable ways)」とある。

 教科書の定義は、contingency theoryの視点からのものであるが、沼上教授の整理によれば有機的組織はいわば参加型で、フラット&エンパワメントという特徴があり、機械的組織とはタテの影響力の強い組織構造で官僚制・フォーマルなタテの関係という特徴があるということで、対立する概念であるのに、「軽い」良い組織には両方の面が見られるというのは意外かつ興味をひく実証結果である。

 当然ながらイノベーションを導くような戦略創発には有機的組織が適しているのだが、この実証研究の知見として、組織の「重さ」はその規模と(従業員の)平均年齢とに正の相関があったそうである。沼上教授によれば、有機的組織といえども成功して規模が大きくなるとともに「重い組織」あるいは「弛んだ共同体」になってしまう可能性があり、「軽さ」を維持できている良い組織は、その弊害をフォーマルなタテの関係で律して相殺していると思われる由である。

 今日の講義におけるメッセージは、従来、日本企業は組織の規模が大きくなることは、事業が成功した結果なのだから良いことだと受け止めてきたが、実は規模が大きくなることにはリスクがあることをもっと認識すべきだということと理解した。日本企業はアメリカの企業と比較しても事業部長(職)をあまりつくらないのだが、100人~150人、売り上げでいえば年商100億円~150億円に達したビジネスは、事業部として分化させたほうが良いとのことであった。

 90ページのパワーポイントによる二時間の講義で途中、説明を端折ったところもあったが、日本の企業や組織の中で起こっていることについて、ユーモアたっぷりの解説が織り込まれ、聴いていて実に面白かった。

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【一橋大学公開講座】「企業の社会的責任と持続的発展」

 本日から、土曜日に五週連続で行われるオムニバス形式の公開講座『日本企業の経営課題』の第一回目で、講師は谷本寛治教授。いま流行りの言葉でいうと、CSRSustainabilityということになる。

 私も仕事柄、多少の知識があるテーマであったが、なかなか重要な指摘もあった。昨今、企業の不祥事がよく報道されるがCSRとはコンプライアンス・倫理に留まるべきものではないとのこと。法令遵守という外的な基準に合わせるという姿勢では不十分で、自ら主体的に行うべき経営レベルの価値(観)共有が必要。なんとなれば、不祥事でよく見られる「組織的隠ぺい」というのは組織に共有されている規範、価値観の問題であり、経営者がリードして組織文化を変えていくことが必要だからと仰っていた。まさに、Code of Conductを経営者が率先して伝道しなくてはいけない所以であろうと共感した。

 最近の企業不祥事について思うのは、多くの事件が内部告発で明るみになったということである。大企業でも終身雇用が当たり前とは言えなくなっているし、非正規雇用者の割合も増加していることから、従業員と会社との関係もドライになっている。谷本教授が指摘されたように、よくよく考えてみれば、企業の主要なステークホルダーである株主、従業員、取り引き先について、株式持ち合い、終身雇用、系列化などによって企業が内部に取り込むべく構造化していたのが'80年代までの日本の企業の在り方だった。

 こうしたアカウンタビリティを求められないようなステークホルダーとの関わり方が’90年代以降、バブルの崩壊と経済のグローバル化のプロセスで変質して来た上に、市民や市場の意識も公正さ、社会性を求めるように変わって来たわけである。市民の意識の変化という点については、'80年代からボランティア活動に関わる人が増えてきたそうであるが、とりわけ、1995年の阪神淡路大震災は日本における「ボランティア元年」とも言うべきメルクマールだったそうである。

 そのほか興味深いお話もいろいろあったのだが、企業やステークホルダーだけでなく政府にも政策的な課題があり、CSRを産業政策に位置づけて、法整備や、調達基準、助成などを行うべきであるとのことだった。教授は国民生活審議会にも関わって来られたそうであるが、その一つの産物が「消費者庁」構想と、「ステークホルダー円卓会議」構想だそうである。どちらも現在の政局では先行きが甚だ不透明となってしまったが、福田前総理の思いつきのような印象のあった消費者庁が実は、審議会の議論の産物だとは知らなかった。

 また、CSRの世界標準としてのISO26000が準備されていることも初耳であった。もっとも、これは第三者認証を求めないガイドライン的な行動メニューなのだそうだが、先進国、途上国からの政府、産業界、消費者団体、労働界、NGOの各代表が「全員一致」の原則で策定した画期的なものらしい。

 企業に求められることが世の中の変化(または、ある面での進歩?)につれて変わって来ている以上、企業も短期的な利潤極大化、株主価値最大化という経営目標と、長期的なSustainabilityという経営目標とのバランスまたは重心の置き方について、今後、深い考察が必要とされるのだろうと感じたしだいである。

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サムスン疑獄

 今日、テレビ朝日のサンデー・プロジェクトで取り上げられていたが、サムスン電子は世界でもトップレベルの優良大企業であり、財閥としてのサムスン・グループは韓国のGDPや税収の約2割を占める韓国きっての大企業である。グループ総帥であったイ・ゴンヒ前会長は、サムスン電子をして、いち早くグローバル市場に安価で高品質の製品を供給するという戦略転換を進め、今日の大を成したカリスマ経営者であった。

 そのイ・ゴンヒ前会長の指揮の下、サムスン幹部がおおがかりな贈賄工作を行って来たということが、昨年11月に元幹部の告発によって明らかになった。どうも特定の請託の対価としての贈賄ではなく、政治家や検察、国税庁などの行政機関幹部によしみを通じておく、という趣旨の「餅代」であったらしいが、韓国に特有の事情も見え隠れする。

 かの国では、歴史的に財閥は政府によって大きな影響を受けて来たといえそうである。韓国では政権が交代すると新政権が前政権を糾弾し社会的に抹殺することが多々見られた(チョン・ドファン氏、ノ・テウ氏など)が、前政権にすり寄っていた財閥も手痛い仕打ちを受けることになる。か、といって時の政権から距離をおけばそれはそれで睨まれるもとになる。また、1997年に起きた通貨危機で韓国は一時IMF管理下におかれるような危機的状況に陥ったが、左翼的と言われるキム・デジュン政権からノ・ムヒョン政権の下で財閥による資本集中を弱め、企業統治を近代化する方向での改革が進められた。

 こうした財閥にとって厳しい政治環境の下で、サムスンは「餅代」を有力者に配っていたということのようであるが、イ・ゴンヒ前会長はこの疑獄発覚の前に、別の事件で起訴され有罪との判決を受けている。それは、サムスン・グループのアミューズメント・パークであるエバー・ランドの転換社債の不正譲渡に係る事件であった。要は、エバー・ランドという非上場企業の株式を支配すれば、サムスン・グループ全体の支配もできるというグループ企業間の株式持ち合い構造を背景として、エバー・ランドの転換社債を不当に安い価格でイ・ゴンヒ前会長の子息のイ・ジェヨン氏に譲渡したというものである。目的は、当然、財閥の世襲を低コストで行うことであったろう。

 したがって、脱税と背任という二つの容疑で立件されたのだが、判決は脱税のみ執行猶予付きの有罪で背任については無罪とされた。サムスンがあまりに韓国経済にとって巨大な存在になったことと、餅代が効いたのかも知れないが韓国国内でも、この判決については疑問視する向きがあるようである。

 昨年、大統領選という一種、権力の空白期を狙っての元幹部の告発によって明らかになった贈賄疑獄事件もサムスン寄りの結末になるのではないか、とも言われている。しかしながら、番組の中では「王朝資本主義」という言葉が使われていたが、韓国経済の今後の発展のためにも所有と経営の分離ということが課題になるのではないか。儒教による長幼の序、韓国の社会的な伝統が背景にあるだけに一朝一夕には変わらないだろう。とはいえ、サムスンをめぐるスキャンダルについて厳しい見方をしている国民は多いようで、企業のコンプライアンスなど今日の市場経済に普遍的に求められる規範意識が社会に育って来ているようにも見受けられる。そもそも、この疑獄が明らかになったのも元幹部のいわば内部告発によるものであったのだし。

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